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1997年8月31日にダイアナ妃は36歳という若さでこの世を去りました。
世界中に衝撃が走りました。
現在でもこの事故については、様々な説が言われています。
今回は本当事故の原因がなんだったかを解説していきます。
プロフィール
全名:ダイアナ・フランセス・スペンサー
旧姓:ダイアナ・スペンサー
出身地:イギリス、イングランド、ノーフォーク、サンドリンガム、パークハウス
生年月日:1961年7月1日
1981年 チャールズ皇太子と結婚
1982年 ウィリアム王子誕生
1984年 ヘンリー王子誕生
事故時の状況
事故発生日、1997年8月31日 チャールズ皇太子と離婚した翌年。
恋人のドディ・アルファイド氏 エジプト人実業家 とフランスに滞在中。
深夜の移動中に事故に合いました。
同乗者は全部で4人
- ダイアナ妃
- ドディ・アルファイド氏
- ボディガード トレバー・リース・ジョーンズ
- ホテルが手配した運転手 アンリ・ポール
生存者はボディガードのトレバー・リース・ジョーンズ1名のみ
ボディガードはドディ氏が雇っていた。
ホテルの運転手の証言
急遽移動することとなり、ベンツはホテル側が用意したもです。
メルセデス・ベンツでした。
ホテルの裏口に準備され、その現場にいた運転手の「ジャン・フランソワ・ミュザ氏」の証言です。
ダイアナ妃が乗った車は、中古で購入された後、1年弱使用されていなかった。 しかも、その間に何度も問題を起こしていた。
事故車のナンバーは「688 LTV 75」
新車ではなく、中古車だったのです。
走行距離は10192km
しかし、急遽移動することになった為、準備できる車はその車しか用意ができなったと言われています。
運転手の「ジャン・フランソワ・ミュザ氏」は、運転手にこのように言ったそうです。
安定感のない車なので、スピードを出して運転しないように。
注意が必要な車だと、ドライバーなら誰もが知っていたようです。
事故時の速度は?
裏口から出発したにも関わらず、出発直後からパパラッチに追いかけられます。
その為、パパラッチから逃げるように急発進し、制限速度50キロのテーヌ川沿いの道路を、100キロを超えるスピードで走っていました。
そして、トンネルの入り口からわずか65m付近で、13本目の柱に猛スピードで激突してしまいました。
事故直後
ダイアナ妃は事故の直後にはまだ息があったのです。
すぐ通報され病院に運ばれますが、この世を去ってしまいます。
享年36歳でした。
事故直後の車に駆け寄った人の証言によると、ダイアナ妃は
「OH MY GOD」「Leave me Alone」(私を一人にして)
と言ったそうです。
まとめ
公式の死因は「運転手の過失による事故」と発表されています。
イギリスの王室もこの発表には反論するには至っていません。
イギリス国民の間では未だに「ダイアナ妃 陰謀論」が残り、
事故には何か政府が関与しているのではないか?と現在も疑惑は残ったままようです。
その他にも当時の運転手の「飲酒運転」なども囁かれいます。